2021年


ーーーー3/2−−−− 自作したギター


 
中学生の頃、フォークソングが流行しはじめた。学校の帰りに、楽器店の前を通ると、人気のフォークソングが流れていた。楽器店では、レコードも売っていたのである。ショーウインドーには、いくつか楽器が置いてあり、その中にギターがあった。そのギターを弾きながら、フォークソングを歌うことができたら、どんなに素晴らしいかと思った。しかし、親がギターを買ってくれる可能性はゼロだった。そこで、自分で作ることにした。

 ボディはベニヤ板を、ネックとヘッドは材木屋から分けて貰った木材を使った。糸巻きの部品は、例の楽器店で取り寄せた。フレットはどのように作ったのか。金属製の素材は無理だったろうから、マッチの軸のような細い木材を指板に張り付けたのだろう。ボデイの曲面を作るのは難しかっただろうが、どのように加工したのか覚えていない。ともあれ、かなりの日数をかけて組み立てた。出来上がったギターは、こげ茶色のラッカーで塗装をした。

 中学生の身には、かなり大きく、立派なギターだった。出来上がったギターを見て、自分でもよくこれだけの物が出来たと、うっとりとした。

 例の楽器店で弦を買ってきた。6本の弦をそれぞれ糸巻きにセットし、順番に少しずつ巻き上げて行った。テンションが高くなるにつれて、様子がおかしくなってきた。ネックがグイーンと反って、弦が宙に浮いた。変な形になってきたので、嫌な予感がした。それでも、弦を巻き上げる手を止めなかった。すると、バーンと大きな音がして、ネックと胴体の接続部が破断した。力作のギターは、胴体とネックがV字型に折れ曲がり、それらの間に弦がぶら下がっているという、おぞましい姿になった。

 その時のショックは、私にとって一つの原体験となっている。今でも、ギター系の楽器(ギター、ウクレレ、チャランゴなど)の弦を巻き上げるとき、言いようのない緊張を感じるのである。




ーーー3/9−−− 初のチャランゴ リサイタル


 
伊那市高遠の市民団体が運営する平和の文化祭。メンバーの一人である友人のS氏から誘われて、出展ならびに出演することを決めたのが昨年の秋。その文化祭が、二月の末に開催された。

 出展は象嵌細工、出演はチャランゴの演奏。象嵌細工の方は、これまで作ってきたものを並べて展示するだけだが、演奏の方はレパートリーの中から6曲選び、4ヶ月に渡って練習を繰り返した。規模が小さいとはいえ、私にとって初めてのチャランゴのリサイタルである。これまで南米音楽教室の発表会に2回参加したことがあり、不特定の人の前で演奏したことが無かったわけでは無い。しかし一人だけで観客の前に立つというのは、しかも6曲も演奏するというのは、これまでに無い画期的な事であった。

 音楽教室の発表会では、私はどちらかと言うと上がらない(過度の緊張をしない)方であった。生徒の中には、傍目に気の毒なくらい緊張する人もいた。また緊張に耐えられなくて、発表会を欠席する人もいた。

 私はこれまで、ケーナやティンホイッスルなどの笛に手を染めてきたが、演奏の機会があれば、でしゃばって演奏をするようにしてきた。人前で演奏をすることにより、音楽をやる楽しさが深まるように感じるし、演奏のレベルアップにもつながる。練習は発表会のため、発表会は練習のため、と言うのが私のモットーである。日々の練習の目的は、人前でちゃんとした演奏ができるようになることであり、発表の機会があれば、練習に身が入るということだ。

 人前で演奏をすると、緊張する。緊張すれば、普段の実力が出ない。何故緊張などという性癖が人間に備わっているのかと思う。そんなものが無ければ、自由に大らかに表現が出来、共感が得られるのに。しかし、こればかりは、いかんともし難い。先生に聞いたことがある。自宅で練習した時は上手く演奏できるのに、先生の前で披露すると、何故間違えたりつっかえたりするのかと。先生答えていわく「上手く演奏して聞かせたいと思うから、いつも通りじゃなくなるんですよ」

 今回のリサイタルでも、出だしはとても緊張した。顔では笑っていても、話は流暢に出来ても、指が震えるのは隠せない。そんなことでは、ちゃんとした演奏は出来ないと分かりつつも、どうしようもない。こういう時は、聴衆の中に好意的な態度の人を見付けて、その人のために演奏をするかのような気持ちに持っていくのが良いと聞いたことがある。聴衆の中には、目をキラキラさせている人(大袈裟?)もいれば、何を考えておるのか分からない、不機嫌そうな人も居る。不機嫌そうな人が、理解をしてくれないという事では無いと思う。人は外見では分からないのである。しかし、発信をする立場で、心細く、不安な状況に於いては、好意的な受け止め方をしている人に焦点を絞った方が、気持ちがラクになる。。

 脇道にそれるが、過去に小さな会場でシューベルトの歌曲の演奏会があった。私はたまたま最前列の端の方に席を取っていた。素敵な演奏だったので、心から楽しめた。演奏が終わり、拍手が沸き起こる中で、演奏者(歌い手)は私のところに来て握手を求めた。私はそれに応じたが、何故だろうと不思議に感じた。顔見知りでも何でもなかったからである。後で思ったのだが、聴き手の態度が、演奏家に働きかけるものがあるのだろう。無意識のうちに、演奏に感動をした私の態度が、演奏家を励ましたのかも知れない。

 今回の平和の文化祭の聴衆は、おおむね共感のある人たちだった。S氏以外は、全て初対面の人たちだったが、以前から見知ったような感覚を覚えるような方が多かった。演奏を熱心に聴いてくれて、有難かった。これもイベントのタイトルが示すところであろうか。

 演奏が終わった後、一人の老人男性が近づいてきて、感想を述べてくれた。「涙が出るような綺麗な音でした」と言ってくれた。そして「映画の第三の男のテーマ曲を思い出しましたが、あれも同じ楽器ですか?」と言った。私は「あれはチターという楽器だそうです。良く知りませんが、別の楽器ですね」と答えた。聴き手は、それぞれの思いを抱きながら、演奏を聴いているのだと気付かされた。




ーーー3/16−−− 悩ましいスイッチ


 
以前父の日のプレゼントに、長女から貰ったソーラーランタンがある。ソーラー充電式の携帯用ランタンで、畳めば小さくなるのでキャンプなどに便利である。実用的でもあるが、自然の中で太陽エネルギーで明るさを得るというエコの楽しみが感じられるアイテムである。ただ一つ、問題点があることに気が付いた。

 電源スイッチは、軽いタッチの押しボタンである。一回押すと電源が入って点灯し、二回押すと明るさが増し、三回押すと点滅になり、四回押すと電源がオフになる。このように、ボタンを押すごとにモードが変わるスイッチは、よく見かける。私が使っている電池式のヘッドランプも、このタイプのスイッチである。このスイッチが厄介なのである。

 このランタンは、いったん充電しても、長い時間が経てば電気が抜けてしまう。それはまあ仕方ないことだと思う。問題は、充電されていない状態に於いては、押しボタンがどのモードになっているか分からない事である。例えば、消えている状態で、動作を確認するためにボタンを押す。点灯しなければ、電気が残っていないから、太陽に当てて充電しなければならない。しかし、スイッチを入れたまま充電をするのは、放電しながら充電することになるので、具合が悪いだろう。だからスイッチをオフにしなければならないが、カチカチやっているうちに、何回押したか分からなくなってしまうのである。

 電池式のランプなら、このタイプのスイッチでも問題無い。どのモードになっているかは、灯りのつき方で分かるからである。もし、ボタンを押しても点灯しなければ、バッテリー切れということも直ちに分かる。くだんのランタンの場合は、長時間使用しないと電気が抜ける。そうなると、ボタンがどの状態にあるか、確認できなくなるのである。

 操作のミスを防ぐために、ルールを決めた。久しぶりにこのランタンを触るときは、ボタンを4回押すのである。それより少なくても、多くてもいけない。きっちり4回押す。その間に灯りがつけば、充電されていることが分かる。灯りがつかなければ、バッテリー切れだから陽に当てて充電する。毎回このルールを守れば、必ず電源オフの状態で充電ができる。

 同じ操作を繰り返すことによって、電源のオン、オフが切り替わるスイッチと言うのは、他にもある。例えば電灯の紐スイッチ。このタイプのスイッチに関しては、興味深いエピソードがある。

 かかりつけの鍼灸院の先生から聞いた話である。以前は、治療室の電灯は紐スイッチだった。ある時、治療を終えた患者さんが、きまり悪そうな声で「暗いので電気をつけて下さい」と言った。治療をしている間に日が落ちて暗くなったのである。ところが先生は、電灯がついていると思っていた。治療室は薄暗いので、昼間でも点灯することにしていたのである。点灯しておくのは、患者さんのためである。その日はたまたま紐スイッチの回数を間違えて、消灯の状態になっていたのであった。先生は全盲なので、ご自身で明るさを知ることはできない。

 それ以来、紐スイッチは止めにして、壁に取り付けたスイッチを使うようにしたそうである。そのスイッチなら、手で触れてどちらに倒れているかで、オン、オフが判断できるからと。

 余談だが、私はこの話を聞いて、不思議な気持ちになった。暗くなった室内で、心細さを感じながら、黙って治療を受ける患者さん。一方で、平然といつも通りの治療を続ける先生。このシーンは、なんだかシュールである。




ーーー3/23−−− 証明書の顔写真


 
面倒なので怠ってきたマイナンバーカードの申請だったが、ポイントが付くからやろうよと家内が言うので、重い腰を上げた。ところが実際にやってみると、ちっとも面倒では無かった。スマホで当該サイトにアクセスして、必要事項をインプットし、顔写真もスマホで自撮りして張り付ければ済む。書類を取り寄せたり、印画紙の写真を準備したり、出来た書類を郵送したりという手間が一切かからない。特にスマホで撮った顔写真をそのまま送るというのが気に入った。しかし、あまりにお手軽で緊張感が無いため、ボーっとした顔で写ってしまった。この顔写真がこの先ずっと付きまとうと考えると、ちょっと油断したなと思う。

 申請手続きの顔写真と言えば、思い出すことがある。パスポートの申請をした時のことである。

 申請書類を整え、顔写真を張って、県の合同庁舎へ出向いた。申請窓口の部屋に入ると、男性職員が一人だけいて、カウンターの向こうのデスクで週刊誌を読んでいた。初老の職員は、私の方をチラッと見て、週刊誌を閉じて引出しにしまった。週刊誌が消えると、デスクの上には何も無くなった。

 申請書類を差し出すと、しげしげと中を調べ、「この写真がちょっとね」と言った。写真の背景に小さな黒い点があると言うのである。「それくらいは大目に見てもらえませんか?」と言うと、「パスポートは、国際的信用に関わる重要なものだから、不備は許されません」と答えた。一日中週刊誌を読んでいるだけの職員にこんなご大層な事を言われて、私は腹立たしい気がした。しかし、もめ事を起こせばパスポートが貰えなくなると思い、しぶしぶ撮り直しに応じることにした。すると男は「穂高にある○○写真館なら綺麗に撮ってくれますよ」と言った。この職員は○○写真館の回し者かと、私は勘ぐった。

 そんな時代と比べると、スマホで撮った写真を身分証明書に使えるようになったのだから、ずいぶん変わったものである。写真の品質などは二の次で、本人であることが確認できればそれで良いということだ。

 そう言えば、以前ラジオ番組で聞いた事だが、フランスでは運転免許証の更新制度が無く、老人でも若い頃の顔写真のままだったとか。これはまたずいぶん大らかな話である。お国柄の違いと言うものか。こうして見ると、国際的信用って、何だろう?




ーーー3/30−−−  風呂場のアヒル


 
会社勤めをしていた最初の4年間は、独身寮で暮らした。寮の建物は、鉄筋コンクリート3階建てで、全て個室で120人ほど収容できる立派なものだった。食堂の脇ににロビーがあり、その他に畳の広間の娯楽室、卓球台のある運動室、麻雀部屋、洗濯室、電話室など、設備が行き届いていた。今から思えば、豪勢な独身寮だったが、とりわけ風呂場は銭湯のように広く、浴槽も泳げるほど大きかった。夕方会社から戻り、一番で風呂に浸かるのを楽しみにしていた寮生もいた。

 その風呂場を舞台に、一つの悪戯を思い付いた。新入社員が入ってくる4月に、ある仕掛けをして彼らをからかってやろうと。別に大したことではない。ただ浴槽にゴム製のアヒルや水鉄砲など、幼児のおもちゃをいくつか浮かべておいたのだった。

 一流会社に入り、エリートサラリーマンを目指して意気揚々としている新入社員。しかし寮に帰れば、怖そうな先輩社員の目が気になり、小さくなっている。風呂場でもしかり。何か不作法でもして怒られたらどうしようと。ところがその先輩社員らが、無邪気にアヒルや水鉄砲で遊んでいる。「えっ、これがエリート会社の実態?」 そのギャップのサプライズが狙いであった。

 おもちゃを買って来て風呂場に入れてから二三日すると、おもちゃが増えていた。これはどうした事と思いきや、寮母さんがこの企画に共鳴して、買い増したとのことだった。この寮は、中年の寮母さんが一人で仕切っていた。その寮母さんがある日風呂場を点検したら、おもちゃが転がっていたので、これは面白いと、自分も一枚加わったのだと。その顛末は、ご本人から直接聞いた。私の仕業だと、どうして分かったのか。

 それから一週間ほど経って、寮母さんに会ったら、悲しげな顔でこう言った「風呂場のゴミ箱に、アヒルさんたちが捨てられていたのよ」。

 良く言えば和気あいあいでアットホーム、悪く言えば悪ガキの巣窟のようだったあの寮にも、おふざけが許せない、プライド高きエリート社員がいたのであろうか。